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平安時代
東三条殿は,平安京左京三条三坊にあった平安時代の邸宅。藤原良房(804〜72)が創設し,摂関家嫡流に伝領され,藤原兼家(929〜90)は東三条殿と称された
平安京に花開いた源氏物語。光源氏のような王朝貴族たちの壮麗な邸宅、いわゆる寝殿造りの住まいであった。
日本の特徴は座敷。平安時代の寝殿造りの時はワンルームで天井がない。座具として板の間に1畳ばかりの畳をしいて
いた。几帳や屏風で間を仕切りすべてが可動式。
安末期に成立した故実書。宮中や摂関家の儀式の際の室礼,調度,装身具,献立を詳細な図で記録したもの。東三条殿指図で室内の様子が可動式と知れる。
徳川美術館、五島美術館にある国宝。平安時代後期の絵巻物。平安中期の源氏物語の挿絵絵巻として企画された。畳の縁の装飾の違いで畳の格座る人の身分がわかる。
寝殿造はひとつも現存しない。だが江戸時代末それを伝える建物が今に残る京都御所の紫辰殿。内部は太い柱が立ち並び
間仕切りも天井もなくまるで体育館のようだ。
平安中期になると寢殿造が現れる。池や流れをもっ庭に南面する寢殿を中心に対屋、波殿、釣殿など。現在その遺構はないが、京都御所の紫辰殿にその面影を見ることができる。
寝殿の南は公的な晴れの空間そして私的日用的なものは北の褻(け)の空間と分けていた。トイレは携帯用の便器を利用して屏風などで囲って使用。屋敷の表は庭園裏は菜園。
本と参考文献
鎌倉時代
新古今和歌集に46首採用の鎌倉時代前期の歌人藤原定家は日記名月記で晩年に暮らしたのが一条京極邸の様子を
記録。寝殿に短い中門廊をつけただけのもの。持仏堂はあった。
法然上人絵伝の中に書き込まれた漆間時国の住宅も一条京極邸と同じ構成で唐破風が中門廊の入り口にあり寝殿造の
最小単位として典型的なもの。そして都市住民は1町の1/32が基本。入り口は西か東。やがて道路との境界付近に家もたち「年中行事絵巻では町屋(板葺き石おき)が道路に面して建つ様子が見れる。
本と参考文献
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