フリー写真いい色輝き

京都霊山護国神社 写真

京都霊山護国神社

京都霊山護国神社

京都霊山護国神社は京都の東にある。バスで清水道でおり清水寺に行ったあと七味屋本舗 の横を北へ歩きこれを産寧坂という。そして二年坂を、八坂の塔を左に見ながらまっすぐ進むと突き当たりが維新の道これを東に歩くと 京都霊山護国神社に着いた。

霊山護国神社の拝殿

京都霊山護国神社の拝殿

京都霊山護国神社の拝殿。霊山招魂社という扁額が掲げられている。これが最初の社名。戦没者と志士に拝礼。

霊山護国神社本殿

京都霊山護国神社本殿

下の屋根。京都霊山護国神社の手前の建物が坂本龍馬の墓地入り口。霊山墳墓拝観料大人300円を支払って中に入る。振り返れば 奥の方に京都霊山護国神社の本殿の鰹木がみえた。

霊山護国神社の説明板

京都霊山護国神社の説明板

京都霊山護国神社の説明板の写真。明治元年に明治の新社会を作るにあたりその功績のあった人々の慰霊を祭る社が国家の力で造られたことがわかる。

坂本龍馬と中岡新太郎の銅像

坂本龍馬と中岡新太郎の銅像

左が坂本龍馬で右が中岡新太郎の銅像です。龍馬の墓の近くに昭和37年にこ京都の高知県人会の人達によって立てられた二人をたたえる銅像です。 彼らは毎年11月15日にシャモ鍋を墓前にささげ来客にもふるまう龍馬祭を行っています。

坂本龍馬と中岡新太郎の墓碑

坂本龍馬と中岡新太郎の墓碑

左が坂本龍馬、右が中岡新太郎の墓碑です。慶応3年11月15日京都河原町近江屋にて坂本龍馬は刺客により殺された。32才だった。 この日も龍馬を慕う人々により掃除と献花がなされていた。2008年4月3日撮影。

坂本龍馬と中岡新太郎

坂本龍馬と中岡新太郎の最期を説明する建て板

坂本龍馬と中岡新太郎の最期を説明する建て板。彼が薩摩藩邸にいないで危険を犯してまで京都にいた理由。自由な場所で最後に新政府 を構成するメンバーリストを作りたかったのだろうか。

 

関連リンク

京都霊山護国神社

いい (c)2016