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弥生時代
弥生時代中期-後期の遺跡。環濠集落の大塚遺跡と集団墓地の歳勝遺跡からなる保蔵は3/1で今は横浜市歴史博物館が
建つ。全部で115県の家の跡がある
柱を4本立てそれを水平な材(梁)で結ぶ。柱と梁でささえる軸組み構造が西洋の石やレンガで支える壁式構造と大きく
違う日本住居の特徴。家族が一体のシンプルな生活。
敷物をして寝ていた所が床だがそれが土間だったそれがやがて高床になりそして畳をしくように変遷していく。
茅葺の屋根は方形平面の竪穴の上を覆い、入母屋型の屋根も覆った。
奈良県の佐味田古墳から出土した4つの家屋の図が描かれている鏡。埴輪では知ることのできない4世紀の頃の家屋の様子を知る重要な資料。
周囲に濠(ほり)をめぐらして,排水や外敵にそなえた集落。代表的なものに佐賀の吉野ヶ里遺跡がある。平和な縄文戦いの弥生の痕跡。外に土塁と柵があり内に堀があるのは内を外に出さないという説もある。
本と参考文献
奈良時代
長屋王(684-729)は天武天皇の孫。奈良市二条大路南1丁目から出土した4万点の木簡により邸宅と当時貴族の生活が分かる。350m2k巨大な正殿。
柱とその上の梁で構成された建築の基本部分が母屋でそれを広げるためあらためて屋根をかける「庇」ひさしという構造が考えられた。
天皇の即位の年に行う大嘗会という儀式のために臨時に建てる建物でその中心が正殿。古い時代の形が今に伝えられる。
2間5間の建物を室と堂にわけ室は寝室堂は開放的な来客の場所とした。
本と参考文献
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