小菅村、長作の民家
小菅村とは多摩川の源流で奥多摩湖に流れる支流の源流にあたる地域です。実は山梨県の北都留郡なのですが人や文化の結びつきは川 に由来することが多いので東京都との結びつきが多い村なのです。国土施策創発調査「源流資源活用方策調査」でこの村にやってきました。
二重兜造りの民家
上の民家の反対側から写した写真。ちょっと合掌造りみたいな様子ですが庇があるので二重兜造りと呼ばれていて山梨県で見ることができる形です。 この上の部屋の明かりを取るためにこんな窓が妻側に設けられたのです。ここでは養蚕が行われていました。 こんな建物が残っているのは貴重です。干し柿などが干してあるのも風情があります。
小菅村、二重兜造りの民家、前側
上の民家を前から見た写真。板戸や格子窓も昔のままです。実はこの長作の川は鶴川という平塚市に流れる相模川の源流にあたる所ですぐ近く は神奈川県の上野原市のとの県境なのです。鶴峠を降りてきたので小菅村でも別の源流域です。
小菅村、二重兜造りの民家、玄関
古風な玄関先に小豆やずいき芋の茎がほしてあるのも田舎のむかしの生活が今も息づいています。
稗や粟がある暮らし
ここで驚いたのは庭先に稗や粟などが干してあったことです。ここの標高は700mぐらいあります。 小菅村には昔からあまり田というものがなかった。だからこのようなものを用いてだんごなど作って食べていた。 そんな伝統が今も息づいているのです。
小菅村、二重兜造りの民家、裏側
家の裏は少し傾斜のある所ですが野菜など植えられていました。平地の少ない小菅村では斜面を耕す ことも当たり前の感じなのです。
小菅村、二重兜造りの民家、道路側より見る
小菅村の地名は昔、鎌倉時代からカヤツリグサ科のスゲの傘の産地だったことに由来します。小菅傘。そしてこの集落は長作 というのですが、それは永作観音堂にゆらいしています。これは長谷寺の仏堂でハセデラではなくナガサクジと呼ばれていたこと が由来のようです。位置地図。