大板山たたら製鉄遺跡
山口県萩市にある史跡。 この大板山たたら製鉄遺跡は江戸時代の砂鉄で鉄を作った工房の跡です。宝暦(1751-64)、文化(1803-18)、安政(1854-60)年間、操業していたようです。 現在安政年間の建物あとが保存されています。この山内は山ノ口ダムの建設で南半分が水没していて、高殿や元小屋のある北半分が保存されています。 手前元小屋。右砂鉄洗い場。その上に鉄池。左側が高殿です。
大板山たたら製鉄遺跡 世界遺産へ
日本政府は2015年5月4日にイコモスが、幕末から明治にかけての日本の近代化に貢献した重工業施設「明治日本の産業革命遺産」福岡など8県を 世界文化遺産に登録するよう勧告したことを発表しました。 この大板山たたら製鉄遺跡もその中にはいっています。
大板山たたら製鉄遺跡全体図
山内と呼ばれる製鉄所には高殿(製鉄炉)、元小屋(事務所)、大鍛冶屋(鉄の塊の加工場)、下小屋(職人の住宅)などあり柵で囲まれていて独立した社会になっていました。
高殿の中の製鉄炉
高殿とは木炭で砂鉄を溶かし鉄の塊を作る建物で屋根の高さが高いのでそう呼ばれました。真ん中が砂鉄を溶かす炉の跡です。 周りの木で囲まれた所に天秤ふいごという送風設備があり炉に両側から空気を送っていました。炉の下は高温を得るため、大きな 防湿装置がありこれを下部構造といい炉の歴史を知るてががりになります。
砂鉄製鉄炉の模式図
上の図は一般的な地下構造でこの大板山たたらでは小船と呼ばれる空気のはいる空間が上下二段になっていました。
天秤ふいごの図
人が上で踏むことで下のハコの中の空気が炉に送られるしかけです。この天秤ふいごの発明により大きな炉で 一度に沢山の鉄を生産できるようになりました。この仕事をする人番子といいます。高温の場所でのきつい仕事 なので交代で行われました。今では順次交代してすることを「かわりばんこにする」といいます。これはこの仕事から できた言葉です。
大板山たたら製鉄遺で記念撮影
一緒に行った仲間と大板山たたら製鉄遺で記念撮影。このあと絵巻が有名な...知らない人は知らない 「先大津阿川村砂鉄洗取の図」にでてくる白州たたら遺跡へ行きました。
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