menamomi.net   知波夜比古神社

知波夜比古神社(ちはやひこじんじゃ)

知波夜比古神社(地図)は広島県三次市高杉町にある神社でありここは広島県の史跡としても登録されている所である。道路前の鳥居から拝殿の注連縄が森の中に見える姿は厳かな感じだ。延喜式神名帳にも載る古い神社である。 知波夜比古神社の鳥居 参道の途中に境内の地図があった。神社のまわりに掘がめぐる平坦な城跡でめずらしい。 それは、この知波夜比古神社の神主が、中世の高杉城の城主でもあったからだろう。城主の祝(ほふり)氏は戦国時代尼子側についていたこの場所の国人領主の江田氏の配下にあったので毛利氏に1553年攻め落とされている。「陰徳記」によると1000人城兵がこの三重の土塁と空堀の中の城で矢間を開き攻め込んできた毛利軍に矢を放ち抵抗したが軍勢の差か堀は乗り越えられ600人の首が取られたとある。 高杉城跡地図 現在の社殿は1556年毛利氏により再建されたものである。陰惨な戦いをしながらも領民の反感を防ぎ 領地を平安に保つ為の毛利元就による巧妙な統治が行われたのである。主祭神は日子穂穂出見命で備後二の宮とある。 知波夜比売神社が同市の布野町にもあるが知波夜というのはどうゆう意味だろうか。物部氏の祖出雲色大臣命の五世の孫の知波夜命という神があり愛知県岡崎市の謁播神社に祀られている。出雲色大臣命とは「先代旧事本紀」巻第五天孫本紀の物部氏の系譜で饒速日尊-宇摩志麻治命-味饒田命-三世孫の大禰命の弟となっています。合わないことも多いいがスサノオ-ニギハヤヒに連なる子孫神にあたるということでしょう。ちはやぶるが神にかかる枕詞であり千早振るとも読める。千早は巫女装束であり神に祈る様子からきたものであろうか。「ふる」は石上神宮の御神体「ふるのみたま」にも通じ物部祖氏の十種神宝で饒速日の蒙古呼び名が「ふる」であることなど古代日本正史などに書いてあることなどにも関連してくる。知波夜比古神社があるのはこの地方が古代に出雲色大臣命の子孫の領地であったことを物語っているのかもしれない。 知波夜比古神社

left ending spacer

このWebの[由来][歴史][年賀状]     CopyRight(c) 1996-2006 menamomi.net