見透しは如水の特技引退 -黒田如水

【10】見透しは如水の特技引退

 

 九州征伐の時、如水と仙石権兵衛は軍監で、今日の参謀総長といふところ、戦後には九州一ヶ国の大名になる約束で数多(あまた)の武功をたてた。如水は城攻めの名人で、櫓をつくり、高所へ大砲をあげて城中へ落す、その頃の大砲は打つといふほど飛ばないのだから仕方がない。かういふ珍手もあみだした。事に当つて策略縦横、戦へば常に勝つたが、一方の仙石権兵衛は単純な腕力主義で、猪突一方、石川五右衛門をねぢふせるには向くけれども、参謀長は荷が重い。大敗北を蒙り、領地を召しあげられる始末であつた。けれども秀吉は毒気のない権兵衛づれが好きなので、後日再び然るべき大名に復活した。如水は大いに武功があつたが、一国を与へる約束が、豊前のうち六郡、たつた十二万石。小早川隆景が七十万石、佐々成政が五十万石、いさゝか相違が甚しい。

 見透しは如水の特技であるから、之は引退の時だと決断した。伊達につけたるかカサ頭、宿昔青雲の志、小寺の城中へ乗りこんだ青年官兵衛は今いづこ。

 秀吉自身、智略にまかせて随分出すぎたことをやり、再三信長を怒らせたものだ。如水も一緒に怒られて、二人並べて首が飛びさうな時もあつた。中国征伐の時、秀吉と如水の一存で浮田と和平停戦した。之が信長の気に入らぬ。信長は浮田を亡して、領地を部将に与へるつもりでゐたのである。二人は危く首の飛ぶところであつたが、猿面冠者(さるめんかじゃ)は悪びれぬ。シャア/\と再三やらかして平気なものだ。それだけ信長を頼りもし信じてもゐたのであるが、如水は後悔、警戒した。傾倒の度も不足であるが、自恃の念も弱いのだ。

 

  如水は律儀であるけれども、天衣無縫の律儀でなかつた。律儀といふ天然の砦がなければ支へることの不可能な身に余る野望の化け者だ。彼も亦一個の英雄であり、すぐれた策師であるけれども、不相応な野望ほど偉くないのが悲劇であり、それゆゑ滑稽笑止である。秀吉は如水の肚を怖れたが、同時に彼を軽蔑した。

 ある日、近臣を集めて四方山話の果に、どうだな、俺の死後に天下をとる奴は誰だと思ふ、遠慮はいらぬ、腹蔵なく言ふがよい、と秀吉が言つた。徳川、前田、蒲生、上杉、各人各説、色々と説のでるのを秀吉は笑つてきいてゐたが、よろし、先づそのへんが当つてもをる、当つてもをらぬ。然し、乃公(だいこう)の見るところは又違ふ。誰も名前をあげなかつたが、黒田のビッコが爆弾小僧といふ奴だ。俺の戦功はビッコの智略によるところが随分とあつて、俺が寝もやらず思案にくれて編みだした戦略をビッコの奴にそれとなく問ひかけてみると、言下にピタリと同じことを答へをる。分別の良いこと話の外だ。狡智無類、行動は天下一品速力的で、心の許されぬ曲者だ、と言つた。

 この話を山名禅高が如水に伝へたから、如水は引退の時だと思つた。家督を倅(せがれ)長政に譲りたい、と請願に及んだが秀吉は許さぬ。アッハッハ、ビッコ奴、要心深い奴だ、困らしてやれ。然し、又、実際秀吉は如水の智恵がまだ必要でもあつたのだ。四十の隠居は奇ッ怪千万、秀吉はかうあしらひ、人を介して何回となく頼んでみたが、秀吉は許してくれぬ。ところが、如水も執拗だ。倅の長政が人質の時、政所(まんどころ)の愛顧を蒙つた。石田三成が淀君党で、之に対する政所派といふ大名があり、長政などは政所派の重鎮、さういふ深い縁があるから、政所の手を通して執念深く願ひでる。執念の根比べでは如水に勝つ者はめつたにゐない。

 秀吉も折れて、四十そこ/\の若さなのだから、隠居して楽をするつもりなら許してやらぬ。返事はどうぢや。申すまでもありませぬ。私が隠居致しますのは子を思ふ一念からで、隠居して身軽になれば日夜伺候し、益々御奉公の考へです。厭になるほど律儀であるから、秀吉も苦笑して、その言葉を忘れるな、よし、許してやる。そこで黒田如水といふ初老の隠居が出来上つた。天正十七年、小田原攻めの前年で、如水は四十四であつた。

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