阿久利姫(瑶泉院)の石造
三次市桜の名所尾関山公園にたちよった。冬の尾関山はもみじも葉を落としているが 目新しい石像が北側駐車場の池の近くにたっていた。ふくよかでやさしそうな顔だちの女性は阿久利姫(あぐりひめ) の像であった。 浅野藩下屋敷がここにあり 彼女は初代三次藩主浅野長治の娘で7歳までこの三次のこの場所に住んでいた。阿久利姫は1669年に生まれ1714年に45歳で死んだ女性である。 彼女が有名なのはあの忠臣蔵とかかわりがあるからである。阿久利姫は14歳の時赤穂藩主の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり) に嫁いだ。浅野長治と浅野長矩の父長友は同じ祖父(豊臣政権の時の筆頭奉行で甲斐甲府22万石を治めた浅野長政)を持つ 親戚である。彼女の父の従兄弟の子供と結婚したわけだ。この主人は江戸城の松の廊下で吉良に短刀できりかかり切腹を命じられた。 その後彼女は剃髪し瑶泉院となり赤穂藩士の敵討ち後の関係者の菩提を弔ったり伊豆大島へ流された赤穂浪士の遺児たちの赦免運動をした。最後は三次で死んだ。ちかくの鳳源寺に、瑤泉院を供養した五輪の遺髪塔がある。阿久利姫は全国的に知られている三次出身者の一人として今も三次の観光に役立っている三次の恩人である。時には墓参りをしたいものだ。墓は夫と同じ江戸高輪泉岳寺にある。
阿久利姫(瑶泉院)の生まれた三次の家並
阿久利姫晩年の瑤泉院(ようぜんいん)が生まれた三次の冬の風景をみようと尾関山の展望台に あがる。馬洗う川と西城川が出会うあたり。手前は三次町向こうは十日市。市街地は手前から川の向こうへ延びていった。屋根に残った雪模様が面白い。
アジサイと阿久利姫
撮影2013/7/9
尾関山公園の北の入り口に阿久利姫の像近くにアジサイが咲いていました。