踏鞴(たたら)遺跡をたずねる
この場所は三次市の高谷山の東山麓。江の川の南側だ。歩いているのは我聞塾のメンバーと地元の講師。
踏鞴(たたら)遺跡は今は棚田
まだ行き残る見事な棚田にやってきたのはここがかつて砂鉄を流して集めていた場所だからだ。 中国山地はいたるところで砂鉄をあつめ溶かし鉄をとってていた。
丸山神穴跡はたたら遺跡
ここは昭和34年に三次市の史跡に指定されている。最初はいつからかわわからない。明治28年(1895年)頃まで創業されていたらしい。高谷山の石英閃緑岩の風化した土を崩し池を作り溝をつくり池をいくつか通し重い砂鉄と土をしだいに分けて砂鉄をとっていた。ここは側壁を石で積み下は粘土で固めた水路の池を2つ作り片方の水を止め集まった砂鉄をとる場所ではないかと思う。鉄穴をかんなと読む。鉄穴流しという方法で砂鉄鉄をとった場所が残っていた
丸山神穴の池場平面図