石見銀山街道とは
島根県太田市大森は江戸時代に天領という幕府の直轄地であった。そこには石見銀山という戦国時代後期から江戸時代まで約400年にわたり採掘された銀鉱山があり江戸幕府の重要な財源のひとつになっていた。ここで作られた銀を大阪に運ぶため江戸幕府は幅7尺(2.12m)の道を整備した。それは石見路ともいわれ大森から尾道まで中国山地の赤名を超える約140km道だ。銀は大森を出たあと九日市、三次、甲山に泊まり4日めに尾道に到着ここから船で大阪に運ばれた。
石見銀山街道 御調を出発
[10:04]三次から車で御調の道の駅まで来てここから尾道を目指してあるく。この二人は5月3日大森から尾道までを何日かわけて歩いてきた。 私も今日は日程がとれ最後の銀の道走破に参加できた。御調ではSさんに差し入れお見送りいただきました。
石見銀山街道 市村郵便局跡
[10:04]大正時代の建物であろうか市村郵便局と書いてある。
石見銀山街道 市の常夜灯
[10:11]昔の夜道は暗い。街道には常夜灯がありそれを目指して歩いていたのかも知れない。金比羅大権現に旅の安全をお祈りする。
石見銀山街道 尾道の魚売り
[10:14]途中尾道からの魚売りの行商の人に会う。新鮮な魚が自宅で買えるのはいい。
石見銀山街道 サクランボ
[10:22]山道にはいる手前振り返るとサクランボの実。李下に冠を正さず。
石見銀山街道 東畑の古道に入る
[10:34]岩井堂を過ぎ東畑の古道に入る。今は誰も通らずタデも伸びている。
石見銀山街道 東畑の古道の藪こぎ
[10:50]皮手袋をはめたOさんを先頭に草木のやぶ中の進む。昨年銀の道交流会の仲間が草刈をしてくれた道も1年でこの状態になっている。
石見銀山街道 東畑の古道
[11:06]あるくこと30分。やっと歩きやすい道になる。右側はほとんど放棄した田畑だ。
[11:13]舗装道路にでて振り返る。右の樹木の下が通ってきた藪道。左のガードレールは国道184号 右の道は尾道市木ノ庄町畑の城徳集落へいく行き止まりの道。
石見銀山街道 世間遺産 上徳口
[11:15]国道184号の歩道の坂を登っていると風変わりな建物があった。かつてタバコを干した小屋 だったかもしれない。それを大事に改修して使用されている。こんな風景はみじかにある100年残ってほしい 世間遺産というものだと思えるのは私だけだろうか。下のトタンの壁やシャッターが残念だが上の土壁はいい色 をしている。
石見銀山街道 畑の峠の古墓
[11:16]先ほどの写真から1分。国道184号の畑の峠。御調が海抜80m。この峠が230mで約150m 登ってきた。ここは国道の切り割りの道かつてこの上に銀の道はあった。そのなごりだろうか ブロック用壁に古い墓が安置されていた。歩いて見なければわからない発見。ここが御調から尾道への最高地点だ。