アヤメ

アヤメ 植物画

アヤメ 植物画

アヤメ

 アヤメといえば、だれでもアヤメ科中の Iris 属のものと思っているでしょう。それもそのはず、今日(こんにち)ではアヤメと呼べば一般にそうなっているからだ。しかし厳格にいえば、このアヤメはまさにハナアヤメといわねばならぬものであった。なんとなれば、一方に本当のアヤメがあったからだ。とはいえ、この本当のアヤメの名は、実は今日ではすでに廃(すた)れてそうはいわず、ただ古歌(こか)などの上に残っているにすぎない運命となっているから、そう心配するにも及(およ)ぶまい。
 右に古歌(こか)といったが、その古歌とはどんな歌か、今試(こころ)みに数首(すうしゅ)を次に挙(あ)げてみよう。

ほととぎす厭(いと)ふときなしあやめぐさ
  かづらにせん日此(こ)ゆ鳴きわたれ

ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ
  玉に貫(ぬ)く日をいまだ遠みか

あやめぐさひく手もたゆくながき根の
  いかであさかの沼に生(お)ひけむ

ほととぎす鳴くやさつきのあやめぐさ
  あやめも知らぬ恋もするかな

 などがある。さてこの歌にあるアヤメグサ、すなわちアヤメは、ショウブすなわち白菖(はくしょう)のことである。(世間(せけん)一般に今ショウブと呼んでいる水草(みずくさ)を菖蒲と書くのは間違いで、菖蒲は実はセキショウの中国名である。ショウブの名はこの菖蒲から出たものではあれど、それは元来(がんらい)は間違いであることをわきまえていなければならない。)そして前の Iris 属のハナアヤメとは、まったく違った草である。
 昔、右のショウブをアヤメといっていた時代には、今の Iris 属のアヤメは、前記のとおりハナアヤメといって花を冠(かん)していたが、ショウブに対するアヤメの名が廃(すた)れた後は、単にアヤメと呼ぶようになり、これが今日(こんにち)の通称となっている。すなわち白菖(はくしょう)がアヤメであった時は、今日(こんにち)のアヤメがハナアヤメであったが、アヤメの名がショウブとなるに及(およ)んで、ハナアヤメがアヤメとなり、時代により名称に変遷(へんせん)のあったことを示している。
 あまねく人の知っているかの潮来節(いたこぶし)の俚謡(りよう)に、

潮来出島(いたこでじま)のまこもの中に
あやめ咲くとはしおらしい

 というのがある。この謡(うた)はその中にあるアヤメがこんがらかって、ウソとマコトとで織(お)りなされている。すなわちこの謡(うた)の作者は、謡(うた)のアヤメを美花(びか)の咲く Iris のアヤメとしているけれど、この Iris のアヤメは、けっして水中に生(は)えているマコモの中に咲くことはない。そしてこのアヤメは陸草(りくそう)だから水中には育たない。マコモといっしょになって生(は)えている水草のアヤメは、古名(こめい)のアヤメで今のショウブのことであるから、これならマコモの中にいっしょに生(は)えていても、なにも別に不思議(ふしぎ)はない。
 サーことだ、美花(びか)を開くアヤメはマコモの中にはなく、マコモの中に生(は)えているアヤメは、つまらぬ不顕著(ふけんちょ)な緑色の細かい花が、グロ的な花穂(かすい)をなしているにすぎなく、ふつうの人はあまりこの花を知っていないほどつまらぬ花だ。
 上の謡(うた)の「まこもの中にあやめ咲くとはしおらしい」のアヤメは、マコモの中に咲かなく、つまらぬ花を持った昔のアヤメ(ショウブ)が咲くばかりであるから、この俚謡(りよう)の意味がまったくめちゃくちゃになっている。謡(うた)はきれいな謡だが、実物上からいえば、まったく事実を取り違えたつまらぬ謡(うた)だ。はじめてその事実の誤(あやま)りを摘発(てきはつ)して世に発表したのは私であって、記事の題は、「実物上から観(み)た潮来出島(いたこでじま)の俚謡(りよう)」であった。それはちょうど今から十六年前の、昭和八年のことだ。

出典 植物知識 牧野富太郎

出典 植物知識 牧野富太郎

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