バナナ 植物画
バナナ
元来(がんらい)バナナ(Banana)はその実のできるミバショウ(学名は Musa paradisiaca L. subsp. sapientum O. Kuntze)の名であるが、日本民間でふつうにバナナというと、その実(果実)を指(さ)して呼んでいる。しかし西洋でも同様にその実をバナナといっていることもないではないが、これを正しくいうならバナナの実と呼ぶべきである。
さて、果実としてのバナナは元来(がんらい)そのいずれの部分を食(しょく)しているかというと、実はその果実の皮を食しているので、これはけっして嘘(うそ)の皮ではなく本当の皮である。もしもバナナにこの多肉質(たにくしつ)をなした皮がなかったならば、バナナは果実としてなんの役にも立たないものである。幸(さいわ)いにも多肉質の皮が存しているために、これが賞味(しょうみ)すべき好果実として登場しているのであるが、しかしこの委曲(いきょく)を知悉(ちしつ)していた人は世間(せけん)に少ないと思う。ゆえにバナナは皮を食うといったら、みな怪訝(けげん)な顔をするのであろう。
バナナのミバショウ植物は、見たところ内地にあるバショウそっくりの形状をしている。それもそのはず、その両方が同属(Musa すなわちバショウ属)であるからだ。葉を検(けん)して見ると、バナナの方が葉質(ようしつ)がじょうぶで葉裏が白粉(はくふん)を帯(お)びたように白色(はくしょく)を呈(てい)しており、そして花穂(かすい)の苞(ほう)が暗赤色(あんせきしょく)であるから、わがバショウの葉の裏面(りめん)が緑色で、花穂(かすい)の苞(ほう)が多少褐色(かっしょく)を帯(お)びる黄色なのとすぐ区別がつく。
バナナを食うときはだれでもまずその外皮(がいひ)を剥(は)ぎ取り、その内部の肉、それはクリーム色をした香(にお)いのよい肉、を食(しょく)する。そしてこの皮と肉とは、これは共(とも)にバナナの皮であるが、皮のように剥(は)げる皮は実はその外果皮(がいかひ)で、これは繊維質(せんいしつ)であるから、それが細胞質の肉部すなわち中果皮(ちゅうかひ)内果皮(ないかひ)から容易に剥(は)ぎ取れるわけだ。この繊維質部は食用にならぬが、食用になるのはその次にある細胞質の部のみで、これが前記のとおり中果皮(ちゅうかひ)と内果皮(ないかひ)とである。
元来(がんらい)このバナナが正しい形状を保っていたなら、こんな食(く)える肉はできずに繊維質の硬(かた)い果皮(かひ)のみと種子とが発達するわけだけれど、それがおそろしく変形して厚い多肉部が生じ種子はまったく不熟(ふじゅく)に帰(き)して、ただ果実の中央に軟(やわ)らかい黒ずんだ痕跡(こんせき)を存しているのみですんでいる。すなわちこれは果実の常態(じょうたい)ではなくまったく一の変態で、つまり一の不具である。すなわちこれが不具であってくれたばっかりに、吾人(ごじん)はこの珍果(ちんか)を口にする幸運に遭(あ)っているのである。要するに、われらはバナナの中果皮、内果皮なる皮を食(く)って喜んでいるわけだ。
わが邦(くに)にあるバショウにも花が咲いて果実を結ぶけれど、食うようなものはけっしてできない。このバショウの名は芭蕉(ばしょう)から来たものだけれど、元来(がんらい)芭蕉はバナナ類の名だから、右のように日本のバショウの名として用いることは反則である。昔の日本の学者は芭蕉(ばしょう)の本物を知らなかったので、そこでこの芭蕉(ばしょう)の字を濫用(らんよう)し、それが元(もと)でバショウの名がつけられ今日(こんにち)に及(およ)んでいるのである。いまさら改(あらた)めようもないから、まずそのままにしておくよりほか仕方(しかた)がない。そしてこのバショウは、元来(がんらい)日本のものではなく昔中国から渡って来た外来(がいらい)植物なのである。
中国名の芭蕉(ばしょう)は一に甘蕉(かんしょう)ともいい、実はバナナ、すなわちその果実の味の甘(あま)いバナナ類を総称した名である。ゆえにバナナを芭蕉(ばしょう)といい、甘蕉(かんしょう)といってもよいわけだ。
数年前には台湾(たいわん)より多量のバナナが日本の内地に輸入せられ、大きな籠(かご)に入れたまま、それが神戸港(こうべこう)などに陸上(りくあ)げせられた時はまだ緑色であった。それを仲買人(なかがいにん)が買って地下室に入れ、数日も置くとはじめて黄色に熟(じゅく)するので、それからそれが市場の売店へ氾濫(はんらん)し一般の人々を喜ばせたものだったが、一朝(いっちょう)バナナの宝庫の台湾が失われた後は、前日のバナナ盛況(せいきょう)を見ることはできなくなってしまった。
出典 植物知識 牧野富太郎