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ボタン、すなわち牡丹は中国の原産であるが、今は日本はもとより西洋諸国でも栽培している。

 だれでも知っているように、きわめて巨大な美花を開くので有名である。今その栽培してあるものを見ると、その花容、花色すこぶる多様で、紅色、紫色、白色、黄色などのものがあり、また一重咲き、八重咲きもあって、その満開を望むと吾人はいつも、その花の偉容、その花の華麗に驚嘆を禁じ得ない。

 牡丹(ぼたん)に対し中国人は丹色(たんしょく)の花、すなわち赤色のものを上乗(じょうじょう)としており、すなわち牡丹に丹の字を用いているのは、それがためである。また牡丹の牡は、春に根上からその芽が雄々(おお)しく出るから、その字を用いたとある。つまり牡は、盛んな意味として書いたものであろう。今はどうか知らぬが、昔は中国のある地方では、それが荊棘(いばら)のように繁っていて、原住民はこれを伐採し燃料にしたと書物に書いてある。

 牡丹はキツネノボタン科に属するが、この科のものはみな草本であるにかかわらず、独りこの牡丹は落葉灌木である。草木なる芍薬に近縁の種類で、Paeonia suffruticosa Andr. の学名を有している。この種名の suffruticosa は、亜灌木(あかんぼく)の意である。また Paeonia moutan Sims. の学名もあるが、この種名の Moutan は牡丹の意である。そしてその属名の Paeonia は、Paeon という古代の医者の姓名に基づいたものである。牡丹根皮は薬用となるので、それでこの医者の名をつけた次第であろう。

 日本では牡丹の音ボタンが、今日の通名となっている。  古歌にはハツカグサ、ナトリグサの名があり、古名にはフカミグサの名がある。右のハツカグサは二十日草で、これは昔、藤原忠通の歌の、

「咲きしより散り果つるまで見しほどに   花のもとにて廿日へにけり」

 に基づいたもので、つまり牡丹の花の盛りが久しいことを称えたものだ。

 一つの花が咲き、次の蕾(つぼみ)が咲き、株上のいくつかの花が残らず咲き尽くすまで見て、二十日もかかったというのであろう。いくら牡丹でも、一輪の花が二十日間も萎(しぼ)まず咲いているわけはない。

 中国では、牡丹が百花のうちで第一だから、これを花王と唱(とな)えた。さらに富貴花、天香国色、花神などの名が呼ばれている。宋の欧陽修(おうようしゅう)の『洛陽牡丹の記』は有名なものである。

 牡丹は、樹の高さ通常は90〜120cmばかりに成長し、まばらに分枝する。春早く芽が出で、葉は互生して葉柄があり、二回、三回分裂して複葉の姿をなしている。五月、枝端(したん)に大なる花を開き、花径およそ20cmばかりもある。花下(かか)にある五萼片(がくへん)は宿存(しゅくそん)して花後(かご)に残り、八片ないし多片の花弁ははじめ内へ抱え込み、まもなく開き、香りを放って花後に散落する。花中に多雄蕊(たゆうずい)と、細毛ある二ないし五個の子房とがあり、子房は花後に乾いた果実となり、のち裂けて大きな種子が露(あらわ)れる。

 多くの年数を経た古い牡丹にあっては、高さが180cm以上にも達して幹が太くなり、多くの枝を分かち、たくさんな葉を繁らし、花が一株上に数百輪も開花する。私は先年、この巨大な牡丹を飛騨高山市の奥田邸で見たのだが、この株はたぶん今でも健在しているであろう。これはその土地で、「奥田の牡丹」と評判せられて有名なものであった。たぶんこんな大きな牡丹は、今日日本のどこを捜しても見つからぬであろう。もし果たしてそうだとすれば、これは日本一の牡丹であると折り紙をつけてよかろう。もしも高山市へ赴(おもむ)かれる人があったら、一度かならずこの大牡丹を見て来られてよいと思う。

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出典 植物知識 牧野富太郎

出典 植物知識 牧野富太郎

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